ゆうのブログ

アメリカの田舎で駐在妻→日々の雑記&勉強したことなど

アメリカで妊娠→流産(2回目、薬による処理→手術)

こんにちは。

ゆうです。

海外転勤に帯同してアメリカ生活3年目で2度目の妊娠と流産を経験しました。今回は、薬での処置と手術を経験しました。

また、1回目のアメリカでの妊娠と自然流産についての記事はこちらからどうぞ。

妊娠判明

前回の妊娠流産から1か月半後くらいに、新たに生理がきました。早速排卵予測器を使い排卵日を確認し始めました。1回目の妊娠の時は、6か月以上排卵予測器を使ってようやく妊娠したのに、今回は生理後すぐの排卵ですぐに妊娠に成功。ネットで調べると、2度連続流産することはまれであるとあったので、この時は、ついに子供を産めるのだと非常に喜んでいました。

診断

今回は前回の妊娠で産婦人科が決まっており、保険に変更等もなかったので、8週目に診断してもらうことができました(前回は12週目で初診断)。

今回も尿検査をしてエコー検査。

今回は前回の妊娠と違って、Sack(胎嚢)の中に赤ちゃんが見えました。

やった~!!!と夫婦で喜んでいたら、先生が黙ってしまいました。8週目にしては小さすぎるのと、本来心音が見えるはず(ピコピコ光る)なのに、全く見えない。8週目というより6週目で成長が止まってしまったようであると言われてしまいました。先生からは、「もう1週間様子を見て、その後の処置についてはその時に話しましょう。ただ、残念だけど、今回も流産だと思ってる。」と言われました。

2連続で流産することはないと思っていたので、かなり驚きました。しかし、1回目の流産の時よりもショックは小さかったです。そういうこともあるのだなという程度でして、私結構ドライというか冷たいなとも思ってしまいした。むしろ、私より夫の方がショックが大きかったように思います。

再診

前回の診察から1週間後(9週目)でしたが、やはりサイズが全く変わっておらず、一切心音が見えないと。最終的な診断を下すために、担当の先生がもう一人先生を連れてきてくれて、2人の医師で確認してくれるようにしました。しかし、その先生もやはりこれは流産だろうということで、今回も流産という診断が下りました。

そして、1回目の妊娠・流産の時と同様に、3つの選択肢から選んでほしいと言われました。

・自然流産:いつ始まるか分からない。完ぺきではなく、すべて排出されないと手術になる。

・薬による処置:薬を使用開始してから24時間以内に終わる。完ぺきではなく、すべて排出されないと手術になる。お金はかからないし、自分でできるが、自然流産よりも激しい腹痛がある。

・手術:日帰りで寝ている間に終わる。全く痛くない。きれい出せるけど、感染症のリスクや子宮内が傷つくリスクがある。

前回の流産とは異なり、今回はこの時点でまだ9週目で出血もなく、いつ自然流産が始まるかわからない。このため、先生からは薬による処置か手術をお勧めされました。今回は、まずは薬による処置を選択しました。

処方されたのは、8粒のMisoprostol(直径5から7mm程度の錠剤)。

最初の4粒は自分で下から入れてくださいと。そして、その8時間後に、残りの4粒を水で飲むようにと。最初の4粒で大体はでるはずだが、きれいに出すために再度4粒飲むのだそうです。また、自然流産の時よりも痛いはずなのでと、2種類の痛み止めが処方されました。どちらの痛み止めは強力なので、運転等は禁止。

注意点としては、出血量が酷い(大き目のパッドが1時間に2枚以上が2時間連続)とER(救急病院)に行かなければならないので、必ず旦那が家に一緒にいるときに処置しなさい。先生は、すぐに処置してほしかったようです。あまりにも間があくと、自然流産が始まる可能性もあるし、自然流産であっても出血量が酷いとERに行かなければならないためです。しかし、ちょうど夫がアメリカにおらず、私がコミカレの授業をどうしても休みたくなかったので、この診察日から1週間半ほど経ってから行うことになりました。その間に、自然流産が始まればそれはそれでラッキーかなと思っていました…。この日は、処置後の再診の予約をして終了。

薬による処置

指で自分で錠剤を入れろと言われてもいまいち勝手がよくわからず、インターネットで「How to Insert the Misoprostol」と検索すると、

・膀胱を空にする

・手を洗う

・可能な限り、錠剤をVaginaの奥に押し込む。

・錠剤を挿入後は30分横になる

とあったので、それに従うことにしました。

コミカレの授業が15時で終了。慌てて帰宅し、出血に備えて、事前に大量に購入しておいた大きな生理用パッドをいつでも出せるようにし、布団にタオルを数枚敷くなど、入念に準備しました。夫には17時に仕事を終えて帰ってきてもらうことにしていましたが、出血が始まるのは薬挿入後しばらくしてからということなので、夫が帰宅する前に薬の挿入を開始することにしました。

・17時

なるべく水を飲まず、おトイレに行き、膀胱を空にします。そして、手を洗い、自分で指で4錠押し込みます。初めの3錠は上手く入ったのですが、最後の1錠が上手く入らずなかなか苦労しました。そして、そのまま時計を見ながら横たわりずっと出血が始まるのを待機。途中夫が帰宅。

・19時半(1時間半経過)

違和感があったので確認してみると、錠剤の一つが出てきてしまいました。。。すでに一部とけていましたが、なんとか再度押し込みます。

・20時頃(2時間経過)

出血が始まる感じがし、トイレに行ってみると、パッドに血が着き始めていました。

・20時半(2時間半経過)

腹痛等はほとんどないけれど、血の量がどんどん増えてきました。

・21時(3時間経過)

ついにレバー状の血が出てきました。僅かに腹痛を感じたので、念のため処方された痛み止めを飲みました。

・23時半(5時間半経過)

生理パッドをチェックすると、半液状のものが大量に出ていました。痛み止めがよく効いていたのか、自然流産した時よりも半液状のものがが出てくる時の感覚がなく、気が付いたらパッドに…という感じでした。

・0時半(6時間半経過)

腹痛になることを想定して食事を減らしていたため、お腹が空きまくり…。深夜にも関わらず、パンをムシャムシャと食べてしまいました・・・。

・3時(10時間経過)

本当は最初の薬の挿入から8時間後(夜中の1時)に、4つ錠剤を水で飲まなければいけなかったのですが、爆睡してしまい全く起きれず2時間遅れで遅れて服用しました。この時点での出血量は生理3日目程度でした。そして、そのまま再度爆睡。

・10時

朝目覚めると、すでに出血がおさまっていました。

この時点で、1回目の自然流産の時よりもはるかに排出されたものの量が少なく、痛み止めを1錠しか飲まななくても平気なほど腹痛がほとんどなかったので、何となく今回の薬による処置ではすべて排出されなかったような気がしました。

また、その後の数日間は、うまく排出されなかったためか、突然出血量が増えたり、液状のものが突然排出されるなど、不安定な状態が続いていたため、大きめのパッドを常に装着していました。

薬による処置後の診察

薬による処置から6日後に診察し、再度エコー検査を行うと、組織がかなり残っていると。悪い予感はあたりました。

しかし、少し勘違いしていたのですが、自然流産の時にはSack(胎嚢)のようなものが排出されたのですが、薬による処置の場合、Sack(胎嚢)は見えないそうで、なんというかぐちゃくちゃな液状のものだけがでてくるということでした。Sack(胎嚢)がないと、ずっと騒いでいたのですが、そもそもSack(胎嚢)は見えないので、エコーでチェックしてみない上手く排出されたかどうかはわからないということでした。

そして、完全に排出されなかったため、次のステップに。つまり、手術をしなければならないと。この日は水曜日でしたが、金曜日か翌週の月曜日にすぐに手術をしなければならないと言われました。そして、アメリカは車社会なので、車がないと帰れませんし、危ないので、先生には夫が必ず付き添うこと!!と言われました。

早速夫に連絡すると、夫は「金曜日がいいな~」とか呑気なことを言っていました・・・。「あなたの意見は通らないよ!!先生が金曜日と言ったら金曜日!!月曜日といったら月曜日!!」と伝えると、夫は、「先生がそういうならそうします」ということで、有休をとってもらうことに。

翌日産婦人科の手術のコーディネーターから手術が可能な病院の手術室の予約が金曜日に取れたので、手術前日のインストラクションを説明され、地図を取りに行きました。

手術前

食事をとらないこと。痛み止め等を飲まないこと。前日は9時以降食事も水分も一切とらないこと。日本・アメリカ通して人生で初めて手術であったため、かなりびびっていました。

手術当日

夫には終日有休をとってもらいました。手術開始は11時でしたが、一時間半前の9時半に来るようにと指示がありました。病院の敷地内には9時前に着いていたのですが、病院が広すぎて、迷子に・・・。手術室の棟は地図で分かるのですが、道が閉鎖されていたりと厄介。さらに、インストラクションには手術の受付に行けとしか言われていなかったのですが、手術の受付が同じ棟内で複数あり、こっちじゃなくてあっちだよと行ったり来たり。結局9時半にぴったりに受付に到着。

受付

早速、問診票を書くように言われます。ここ1週間以内でサプリを含めて飲んだ薬を全部書くようになっていたのですが、私は、アレルギーやサプリメントのリストは持っていたのですが、、Misprosalの名前などすっかり忘れてしまい慌ててネットでチェック。薬のリストは必ず持って行った方がよいです。

つぎに、お金と保険の受付に案内されました。

保険、SSN、夫の勤務先、宗教などを聞かれました。そこで、なんと、ファシリティーの利用料をクレジットか小切手でその場で払えと!!これが約$800。この場で払わないと今日の手術はできませんと言われてしまいます。すぐさま支払いましたが結構驚きました。

また、このファシリティーの利用料とは別に手術担当医からの請求書、麻酔科医からの請求書がそれぞれ届くそうな。

注意)この利用料は保険によって異なるので、この額は私の保険ではこうだったということです。ちなみにこの$800はファシリティーの利用料から保険が引かれた後の自己支払い分のみの値段です。

また、宗教については、Shintoizm(神道)と言ったら、登録にないと言われてしまったので、Buddhism(仏教)と伝えました。宗教を聞いたのに回答がかなり適当なため、驚かれてしまいました。

手術前の準備と手術

手術のためにまず服を着替えました。その後、感染症を予防するために、歯を磨いて口の中を消毒したり、歯の粘膜をiodine(ヨウ素)で消毒しました。

血液検査用に血液を抜かれると、水分が取れないため、点滴を入れられました。その後、別の看護師さんが来て、ダブルチェックのために別の人が血液検査をしなければいけないといいい、再度血液を抜かれました。

毎回毎回看護師が来るたびに、名前と何の手術を受けるか言わされるので、かなり慎重だなと思いました。

そんなこんなしていると、もう10時半。あと、30分で手術だ。心配だな~などと思っていたのですが、気が付いたら11時。時間はどんどん経っても誰も来ず…。12時になって産婦人科の先生がようやく来て、手術室が遅れてるから手術がまだ開始できないと教えられました。

どんどん緊張の糸が切れて、眠くなってきた頃に、産婦人科の先生、麻酔科の先生が書類にサインしにやってくるなどし、結局手術が開始されたのが、13時過ぎ。

麻酔科医の先生に注射を打たれて、ガーと手術室に運ばれて、少し脚広げてね~と言われてから気が付いたらもうリカバリールームのベッドに寝ていました。眼鏡がなかったのでよくわからなかったのですが、気がついたら15時過ぎていました。

はっきりと目が覚めた頃に、看護師さんが夫を呼んできてくれました。夫によると、私が手術室に入って30分位で先生が夫の元に来て、手術は何の問題もなく無事に終了したと伝えて去っていったそうです。

トイレに行って、おしっこを出すまでは帰ってはいけないと言われていたので、意識がはっきりし始めてからトイレに連れて行ってもらい、そこで着替えもすべてもってきてくれまして、トイレで着替えました。

着替え終了後は、看護師から処方箋を2種類分もらいリカバリールームから去りました。

処方箋

その日の夜から飲まなければいけない薬が処方されたので、早速病院内にあるCVSに行ったのですが、処方された1種類がうちのエリアのCVSにはないと!!CVSよりも規模の大きいWalgreenかWalmartに行ってくださいと。薬剤師の受付の意見を無視して、いつも利用してるSafewayにまず行ったのですが、そこにも結局なく、結局Walgreenへ行きました。

Walgreenでは、その薬はあるけど、他所にあるから持ってくるので、1時間後位に再度ピックしに行きました。手術後だというのになかなかあちこち動いたため、どんどん疲労が…。

Walgreenで薬を受け取るときに、薬剤師から「今日出産したのか?」と聞かれたので少し驚きましした。出産だったらこんなとこにいない…と思ったのですが、流産である旨聞かれると、「Sorry」と言われて気まずい雰囲気に。

結局薬を探し回ったりなどなどして、自宅に帰ったのは19時過ぎ。なかなか時間がかかってしまいました。

手術後の出血と次の生理

手術した日から2週間後に再診。先生からは、薬の処置した日から1か月~1か月半位でつぎの生理が来ると言われました。そして、すぐに妊娠を希望する場合、その生理を見たら、トライしてよいと。

出血は、手術から1週間から2週間でおさまると言われていましたが、手術から再診のころには出血が止まらず。しかし、再診の数日後、手術から2週間半位でようやく出血が止まりました。手術の前にも薬で処置して結構出血して、その後手術で出血したので、Prenatal Supplement(鉄Fe 20mg含有)を継続して飲んでいましたが、さすがにこのころは貧血でふらふらしていました。

また、生理は、先生に言われたような薬の処置した日から1か月半では来ず、最終的に1か月+23日で来ました。

長々と書いてしまいましたが、誰かの役に立てば幸いです。

アメリカで妊娠→流産を経験(自然流産)

こんにちは。

ゆうです。

海外転勤に帯同してアメリカ生活3年目で妊娠と流産を経験しました。誰かの役に立てばと記事に残しておきます。

妊娠判明(妊娠6週目)

妊娠が判明した時点ですでに妊娠6週目。

たまに生理が遅れることがあったため、あまり気にしていなかったのですが、さすがに遅れすぎではと思い、妊娠検査薬を使ってみると妊娠が発覚。早速産婦人科を探さなければいけませんが、初めての妊娠の上に、私の住んでるエリアに日本人の産婦人科医はおらず、かかりつけ医に産婦人科医(OB GYN(obstetrics (pregnancy) and gynecology))を紹介してもらうことにしました。しかし、かかりつけ医の予約日がすでに妊娠8週目。

かかりつけ医の診察

かかりつけ医では簡単な診察と尿検査を行い、妊娠しているでしょうとのことでした。また、念のために、別途血液検査を行い、かつ産婦人科の紹介状(Referarl)を作ってもらえることになりました。

ここの病院では、緊急以外では血液検査をその場ですぐにできず、かかりつけ医からオーダーを受け取り、家に帰宅後にオンライン上でラボに予約しなければならないそうです。

その日は終了。

先生に言われた通り、ラボを予約して翌日に採血。血液検査の結果はオンラインで確認することができ、妊娠に間違いないという検査結果と共に、おめでとうという言葉が添えられて今ひた。

上手くいかない産婦人科の予約

紹介状については、かかりつけ医は、普通は3日後、遅くとも1週間後には紹介状が産婦人科医に届き、産婦人科医の病院から連絡があるが、もしも1週間経っても連絡がこない場合は、かかりつけ医の病院に連絡して確認してくださいと伝えられました。

しかし、かかりつけ医の診察から1週間経っても産婦人科の病院から連絡がなく、かかりつけ医の病院に連絡したところ、普通は2週間だから焦らずもう1週間待ってくれ!と言われてしまいました。

徐々にもやもやが募りました。というのも夫の会社は、現地での出産を禁止しており、出産を日本で行わなければいけないのです(この点については不満がありましたが、とりあえずはルールに従うことに)。このため、アメリカの産婦人科で見てもらった後に、日本の産婦人科も予約しなければならなかったのです。しかし、エコーすら見ていない状態で日本の産婦人科の予約を取るのも嫌だけど、あまり連絡が遅くて日本の産婦人科の出産の予約が取れないのも困る。日本の産婦人科は実家近くで、姉が前年に出産していたため、同じところを使わせてもらうことにしていたので、病院を探すという作業は不要でしたが、13週目になってもアメリカの産婦人科の予約がとれない場合は、事情を説明して先に日本の産婦人科の予約をとることに決めました。

しかし、かかりつけ医の診察から2週間(この時点で妊娠10週目)経っても産婦人科から連絡がこず、初めての妊娠だから早く病院に行かせろ!!!!!とかかりつけ医の病院に連絡すると、直接紹介状のコピーを取りに来てくれれば、産婦人科に直接連絡して予約をとってもよいと!!

ようやく産婦人科の予約が取れると、心躍りながら紹介された産婦人科に予約を取りたい旨電話してみると、紹介状が送付された病院は、婦人科のみ扱っており、産科を扱っていないところでした…。婦人科しか扱っていない病院に紹介状が送付されたために処理が滞っていたもよう。

かかりつけ医からの謝罪もあり、気を取り直して再度他の産婦人科医を紹介してもらうことに。さすがにかかりつけ医の病院もまずいと思ったのか、すさまじい速度で紹介状を作ってくれました。これでようやく産婦人科に通える!!!!と思ったのですが、次に紹介された産婦人科は、私が出産するであろう時期の妊婦はすでに一杯なので、他をあたってくれと…。

そして、再度、かかりつけ医に連絡を取り、他の産婦人科医(3か所目)を紹介してもらうことに・・・。この時点ですでに11週になっており、焦りまくりでしたたが、この3か所目の産婦人科で一人だけ先生が空いおり、なんとか予約がとれました。12週目に診察してもらえる予約がようやく取れました。

予約日前日…

しかし、予約日前日になって血の混じったおりものがでるようになりました…。それまで、妊娠の症状と言えば、猛烈に眠いくらいで、つわりも無かったので、少し焦りましたが、ネットで調べるとそこまで異常なことではなさそうだということがわかりそこまで気にせず予約日を迎えました。

産婦人科医での初めての診察

初めての妊娠ということで、夫にも帯同してもらい産婦人科に行きました。こちらの病院は大きな病院ではないため、アイパッドによる遠隔サービスも含めて一切通訳サービスがありません。しかし、このころはだいぶ英語力も伸びてきていましたし、何よりも先生が普段通訳サービスを使っていないため、ゆっくりかつ分かり易く話してくれたため、問題なく診察を受けることができました。

(ちなみに、夫婦ともに、わからない単語を念のため調べましたが日本語でもわからなかっったので、そもそも知識不足)

子宮口のサイズなどからまちがいなく妊娠12週目であると言われ、かなり浮かれていました。

しかし、いざecho診察を行うと、赤ちゃんが見えません。先生からも残念だけど胎嚢(Sack)はあるけど、中に赤ちゃんがいないと言われてしまいました。 血の付いたおりものも体が自然流産に向けて体が準備していると思うので、恐らく数日後には自然に排出されると思うと伝えられました。翌日からは土日であったため、多い日の生理用のパッドが1時間に2つ以上使うことが2時間以上続いた場合、Emergency Roomに行きなさいと伝えられました。 また、診察から5日後に再診察し、もしもその時点で自然に排出されなかった場合、薬をするか手術をするか選ぶようにと伝えられ、その日はそれで診察が終わりました。

自然流産

おりものの血が出て以降、徐々に出血量が少しずつですが増えていきました。診察から3日後の朝、急に出血量が増えた感覚がありました。その後、1時間後位に生理痛のひどい版のように下腹部が痛くなると、さらに出血量が増加。腹痛のため、何となくトイレに籠っていると(おなかは下してないです)、ゼリー状と液状の中間のような半透明なものが大量出てきました。最初はそれが胎嚢だろうと思っていたのですが、その後もしばらく出血が止まりませんでした。その後も度々半透明なものがでてくるため、しばらくはトイレに籠っていました。しばらくして腹痛も出血量も収まってきたので、もうすべて排出されたのだろうと思っていたのですが、1時間後位に、家の中をうろうろしていると、何か大きなものがでてきたような感覚がありました。慌ててトイレに行くと、いままでの半透明なものとは異なり、白い塊のようなものがでてきました。ネットで調べると、どうやらそれが胎嚢(Sack)だったようです。その後はさらに出血量も収まりました。

再診察

再診察で病院に行き、子宮内をチェックしてもらうと、わずかに液状のものが残っているが、ほとんどはきれいに排出されたので、薬による処置も手術も不要と伝えられました。自然流産後、1週間程度で、出血は収まり、2週間以内に妊娠反応が消えるはずなので、2週間後位に再診することになりました。

再々診察までと再々診察

自然流産後は、元々持っていた坐骨神経痛がかなり悪化し、数日寝込んでしまいました。また、再々診察までの間に、収まっていたと思った出血がぶり返しました。先生には1週間位に出血が収まると伝えられたのですが、1週間すぎても出血が収まらず、少し焦りました。出血については、最終的に自然流産から2週間半くらいでようやく収まりました。

再々診察のときには、次の妊娠はいつからトライしてよいか確認しました。ネットの情報では、日本では2~3回生理を見送る様に産婦人科から言われると聞いていましたが、先生によれば、昔は2~3回生理を見送る様にといっていたが、科学的根拠は特にないから、1回生理を見たらトライしてよいと言われました。

これで初めての妊娠→流産がひと段落しました。坐骨神経痛を含めて体調的には再々診察から2週間後位にはかなり元気になりました。

以上

駐在妻がアメリカではまった野菜と果物

アメリカに来た当初は、日本の野菜とフルーツが世界一!と思ってました。しかし、アメリカに来てからすっかりはまってしまった野菜とフルーツがあります。この記事では、アメリカに来てから美味しさに目覚めた野菜とフルーツを紹介します。

コーン

アメリカのスーパーでは、夏場、コーンが山積み状態で、1本20セント位から50セント位で売られています。朝からコーン1本まるかじり!みたいな贅沢ができます!!しかもアメリカのコーンは、日本のコーンよりはるかに甘くて美味しいです!元々コーンは大好きですが、日本(東京)では夏でも1本100円位でちょっとお高いですね…。

セロリ

日本でこんなにセロリ食べたことあった!!ってくらいアメリカに来てからセロリを食べまくっています(笑)

品種が違うのでしょうか?日本のセロリよりもアメリカのセロリの方が食べやすいように思います。

アボカド

特段アメリカのアボカドが日本のものよりも美味しい!ということはないのですが、食べることがかなり増えました。

日本では居酒屋のサラダに入ってるくらいで、ほとんど食べなかったです。アメリカでは、私のよく行くTrader Joe'sもSafewayなどのスーパーで入口入ってすぐの目につきやすいところにアボカドがいつもあり、手にとる回数が増えました。

夏場は、1個50セント位まで安くなり、手に入れやすいというのもあります。

ピーチ

夏ごろになると、アメリカのピーチは異常に安くなります。日本みたいにどれこれもも大きくて甘い!ということはなく、はずれも多いのですが、とにかく安い!!

はずれの多いアメリカのピーチですが、ドーナッツピーチに関しては、はずれが少ない気がします。

↓写真の真ん中の段がドーナツピーチです。

日本で見たことないのですが、アメリカだけで売られてるピーチなのでしょうか?小さくて可食部が少ないですが、甘くて美味しいです。

コットンキャンディーグレープ

コットンキャンディー=綿菓子、でして、まさに綿菓子の味がする不思議な種無しグレープです。見た目は普通のグリーングレープです。グリーンのグレープなので、日本では、マスカットと呼ぶのでしょうか?

私はアメリカに来てからコットンキャンディーグレープの存在を知りましたが、日本でもコストコに売ってるそうです。

すっかりこの商品にはまってしまい、夏場に各スーパーをまわってコットンキャンディー探しをしています(笑)Whole Foodsでなんとか発見できましたが、1週間もせずに売り場から消えてしまいました。

以上です。

ではでは。

 

アメリカ転勤の帯同者(子なし)が引っ越しで行う手続き等のまとめ

アメリカ暮らしも3年目になり、アメリカでの生活もすっかり安定しています。今思い返すと、子なしのアメリカ転勤で一番忙しかったのは、アメリカに引っ越す直前でした。アメリカに引っ越す直前は仕事もしている中で、引っ越しの準備をしなければならないため、毎日いらいらしていました。

当時は、海外在住にかかわる手続きがよくわからず、思いついたことを順番にやっていたため、非常に効率が悪かったようです。そこで、この記事では、子供がいないアメリカ転勤の帯同者の手続きについてまとめてみました。

Visaの取得

これは引っ越しのために一番最初に始まった手続きです。基本的に夫の会社の言われるがままでしたが、過去数年間の勤務先などの日本語名、英語名、住所などを聞かれました。最近ではアメリカのVisa取得にはSNSのアカウント情報を提供しないといけなくなったので、より大変になったようです。

また、会社を休んでVisaの面接にアメリカ大使館へ行かなければいけません。

健康関連

健康診断

健康診断はなるべく早めに受けてください。会社の健康診断ではないため、休みを取得して受診しなければいけません。当時忙しかった私はこの健康診断を受けに行くのも一苦労でした。

この健康診断は、私が普段会社で受診していた健康診断よりも詳細な検査でした。このためか、私は健康診断のある項目で要検査となりました!!夫の会社には要検査のものが完治するまでは帯同許可を出せないと言われてしまい、慌てて再検査。幸い再検査が異常なしだったため、無事に帯同許可が下りました。

しかし、健康診断→結果待ち→再検査→結果待ち→帯同許可、の流れで1か月から1か月半ほど時間がかかりました。Visaは発行されそうなのに、帯同できない恐れがあり、かなり焦りました。このため、健康診断はなるべく早めに受診しましょう。

予防接種

予防接種は帯同する国によって違いますし、予防接種の種類によっては数回受けなければいけません。一度に何個も予防接種をするため、一日中片腕が痛いなんてこともありました。

また、例えば、帯同先で大学へ入学する場合、予防接種が義務付けられてることがあります。事前に予防接種の種類を調べて摂取したり、接種の記録の英文翻訳を取得するなど、計画的に行う必要があります。

翻訳

もし持病がある場合、通院記録等の翻訳が必要かもしれませんので、確認が必要です。いつも利用してる医者が翻訳を担当してくれるとは限らないです。

日本のサプリメント等を飲んでいる場合、可能であれば英訳があると安心です。お金をかけて翻訳する必要があるかは個人の判断となりますが、くすりのしおりというサイトで薬局で手に入るような薬の効能の英訳版は手に入ります。

私はビオフェルミンサプリメント的に毎日飲んでいるため、英訳版を印刷しました。

くすりのしおりのサイトはこちらです。

各種金融機関等のお金関係

銀行の手続き

銀行によって在外者(海外在住者)に対する扱いが違うので、会社のお昼休みに各銀行に手続きについて電話しました。

例えば、ゆうちょは海外住所がNGでした。ゆうちょには親が作ってくれた口座があり、親は解約を少し残念がっていましたが、ほとんど使っていなかったので、この際だからと解約しました。

株式の整理と手続き

証券会社も手続きがそれぞれ異なるため、会社のお昼休みに各証券会社に手続き方法を電話しました。

残念ながら、在外者(海外在住者)は日本の証券会社で株の取引ができません。株を保持している場合、すべて塩漬け状態となります。帯同がなければ保持していたであろう株も一部売却しました。2018年にほとんどの株が値上がりしたため、非常に悔しい思いをしました。

確定拠出年金(401k)

個人型確定拠出年金、通称iDecoに入っており、掛け金を毎月拠出していました。私の場合、資格喪失届を提出し、掛金の拠出を止め、運用のみ行う運用指図者になりました。

法律が変わり、専業主婦でも掛け金を拠出できるようになったことから、会社を辞めてもそのまま拠出はできましたが、私は、確定拠出年金のメリットが住民税・所得税の控除であると思っています。帯同に際し仕事を辞めて収入がなくなり、かつ在外者は日本の住民税がかからないこともあり、このメリットがなくなってしまうので、運用指図者に変更しました。

また、企業型確定拠出年金に入ってる方は、退職されるにあたって、個人型確定拠出年金に移行しなければいけないため、移行先の金融機関を早めに決めておいた方がよいです。

クレジットカードの住所変更

クレジットカードの住所変更が必要です。幸い、私のクレジットカードはオンライン上で住所変更ができたため、非常に簡単でした。

その他資産の整理

私は、株やiDecoのほかに、純金積み立てをしていました。こちらも収入がなくなるために拠出できなくなることに加えて、利益が出ていたこともあり、すべて売却しました。

確定申告・住民税(税金)の委任

帯同時に収入があった場合、翌年に確定申告を行わなければいけません。住んでいた自治体の税務署に聞いたところ、ネットで確定申告できるけど、確定申告後に税務署から送られる書類が古い住所に送られてしまうということでした。その書類が税務署に送り返された場合、確定申告は完了しなかったことになってしまうと言われ、税金処理の委任状を出しました。

また、6月の初頭にアメリカに引っ越し、引っ越した年の住民税の支払いの通知を自分で受け取れないため、家族に代理で支払ってもらいました。

引っ越し手続き

引っ越し業者との打ち合わせ

どの位の荷物になりそうか、持っていけないものなどの説明がありました。

引っ越し荷物ですが、当然、貴重品・金銭は不可です。

アメリカの場合、引っ越しの荷物に食品が不可でしたので、食品関係はすべて手荷物で持っていくしかありません。

また、小物類も断られてしまいました。小物類とは、例えば、ネックレス、イヤリング・ピアス、シュシュなどの髪飾りです。いわゆる、宝飾品でないようなアクセサリー類がNGでした。理由は、アメリカに入港後、税関検査か入港検査(?)中に、こっそり盗んでしまう職員がいるからだそうです。安いものであれば、こっそり盗んでもばれない、文句をあまり言ってこない、勘違いなどで済まされるということがあり、いくつかアクセサリー類が盗まれてしまったことがあるそうです。

水道、ガス、電気、インターネットなどの公共料金

これらは普通の引っ越しと同様の処理を行います。

郵便局の住所変更

郵便局に住所変更の通知を出します。

NHK

これは普通の国内引っ越しと異なり、ネットからはできません。居住地域の営業センターに電話し、解約書類の送付をいらしました。解約書類が届くのに時間がかかるので、引っ越しギリギリでNHKに電話すると、引っ越しまでに間に合わなくなり、代理の人にお願いしなければいけなくなるので、気を付けてください。

自宅の引き払い

これはかなり大変です。

夫の会社の場合、船便、航空便、日本国内の倉庫、その他国内親族への配達、と別れていました。これを決めるのも一苦労です。間違いがないようにするために、引っ越し業者がシールをくれたのですが、それをひたすら張っていくのも大変です。

海外駐在は3年と言われていましたので、3年後に使用できなくなりそうな家電等は売却しました。また、本や服もかなり整理しました。

また、開封済みの調味料などなど食品は近くに知り合いがいなかったので、すべて廃棄しました。開封してない缶詰や食品のうち、アメリカに持っていけないものは、家族に送りました。

住民票の手続き

住民票の手続きをしなければいけません。私は、念のために、手続き前の住民票のコピーと手続き後の住民票のコピーを取得しました。

携帯電話

携帯電話は、番号保管サービスを依頼しました。この番号保管サービスの手続きは会社によって異なります。例えば、Docomoの場合は、電話一本でできるため、空港でチェックイン後に行いました(ただし、ネットワーク暗証番号がわからないと電話ではできないです)。一方、Softbankは窓口にいかないとできないそうです。

各携帯電話会社、その時々で対応が異なるので、事前にDocomoショップやSoftbankショップなどに確認することをお勧めします。

海外で使うであろう書類の手配

戸籍謄本

アメリカの場合、州によって法律が異なるので断定できませんが、婚姻証明の英訳版がSocial Security Numberの取得に必要でした。日本からこの英訳を持ってく人もいれば、現地の大使館に依頼する人もいます。私は後者でしたが、この際に日本の3か月以内の戸籍謄本が必要でした。

英訳の卒業証明書・成績証明書

私は、コミカレ、アメリカの大学・大学院での授業をできれば聴講したかったので、大学・高校それぞれの封済みの英訳の卒業証明書・成績証明書を2通ずつ取得しました。

運転免許証関連

国際運転免許証

アメリカの場合、州によって法律が違いますが、国際運転免許証を使える国やアメリカの州に引っ越す場合、便利ですので、取得しましょう。

無事故無違反の英訳

アメリカの保険が安くなる可能性があると言われ、無事故無違反記録の英訳を運転免許センターで取得しました。これは結局使えなかったので時間の無駄になってしまいました…。

運転免許の更新

運転免許証の期限が切れそうな場合、海外転勤であれば、事前に更新することができます。私は不要でしたが、夫は、1年後位に失効しそうだったので更新していました。

健康保険・年金

私は休職ではなく退職して専業主婦になったため、夫の会社の健康保険に加入し、年金については第3号被保険者になりました。

健康保険については、配偶者の会社によって扱いが違うので、配偶者の会社に確認が必要です。また、働いていた会社の健康保険証を返却しなければいけませんので、病院に行く予定がある方などは返却時期などに注意が必要です。

航空券の手配

夫の会社では、配偶者の航空券も夫の会社で予約することになっていました。このため、日程など夫を介してやり取りしなければいけませんでした。

失業保険の延長手続き

配偶者の海外転勤で退職する場合、失業保険の延長ができます。この延長手続きについて、ネットのブログ記事などを参考にしていましたが、情報が古いのか結構間違っていることが多かったです…。

このため、ハローワークで手続きの仕方を確認し、確実に延長できるようにすることをお勧めします。ただし、ハローワークは混雑しているので、時間が取れるときに行くことをお勧めします。

まとめ

基本的によくわからないことが多く、一つ一つの手続きに時間がかかりました。

また、ブログ記事などのネットの情報は非常に参考になり便利な一方で、100%正しいとは限らないです。自治体や金融機関によって手続きが違ったり、法律の変更などによる影響だと思います。何をするべきかという目安としてブログ記事を使い、最後の正確な手続き方法は各種機関に問い合わせることをお勧めします。

ゆう。

【英語多読】The Bad Beginning(ネタバレあり。)

アメリカに住むようになってから英語多読にはまった私が多読でお勧めのA Series of Unfortunate Eventを紹介します。

Title:The Bad Beginning

Author : Lemony Snicket

YL=4.5

単語数=24,130

Lexile: 1010L(Lexile Measureによると、Grade5-8です。)

あらすじ(ネタバレあり)

Baudelaire家の3人のきょうだい Violet, Klaus, Sunny は裕福な両親のもとで何不自由なく暮らしていました。

Violetは14歳で発明家、

Klausは12歳で読書家、

Sunnyはハイハイする赤ん坊で、鋭い歯を持ち、硬いものを噛むのが大好きです。

ある日3人が海辺で遊んでいるうちに、家が火事で焼けて両親を亡くしてしまい、さらには住む場所も失ってしまいます。

Baudelaire家の財産を預かる銀行員のMr. Poeによって、Olaf伯爵(Count Olaf)という親戚に預けられます。Olafは、役者兼伯爵で、めちゃくちゃ悪人。3人にまともな部屋や食事も与えずに家事などをやらせてこき使います。また、Olafのラムシャックハウスはとんでもなく汚く、Baudelaireきょうだい達が入ることを禁止された塔があります。

一緒に住んでいると、徐々に、オラフがBaudelaire家の財産を集めることを模索していることが明らかになります。

ある日、Olafは、きょうだい達にVioletがOlafと結婚する彼の新しい劇で演じることを要求します。きょうだい達は何かがおかしいと気づき、彼らに友好的な隣人のJustice Straussが保有する図書館を利用して法律を研究します。

Klausは、劇中の結婚であっても法的拘束力を持つことに気づき、OlafにOlafの企みがわかったことを伝えると、Olafは、焦るどころか、余裕。実は、Olafは、劇団の仲間にSunnyを鳥かごに入れて、塔の窓の外からぶら下げさせていました。Olafは、KlausとVioletが計画に従わないなら、Sunnyを殺すと脅します。KlausとVioletは、劇が始まる前にSunnyを救助しようと試みますが、失敗に終わり、ついに劇は始まってしまいます。

Violetが結婚文書に署名した後、Olafは聴衆に彼らの結婚式は法的拘束力があると告げて劇を中断します。 劇に参加していたJustice Straussと観客のPoeはどちらも異議を唱えてますが、法律ではBaudelaireの財産をOlafに引き渡す必要があると認めます。

しかし、Violetは、右利きであるにもかかわらず左手で署名したため、法的拘束力がなかったと宣言します。 Justice Straussは、これが結婚を無効にすることができることに同意します。

Olafの企みは無効になるとともに、OlafはSunnyを閉じ込めた罪で逮捕されることになります。しかし、Olafが捕まる前に、彼の仲間の1人が劇場の明かりを消し、彼らは脱出してしまいます。

Justice Straussは、Baudelaireきょうだい達を引き取ることを伝えますが、Poeは彼女がきょうだい達の親戚ではなく、彼らの両親の意思に反するため、彼女が保護者になることはできないと伝えます。そして、Poeは、別の保護者を見つけることができるまできょうだい達を自分の家に連れていきます。

感想など

この本を読むきっかけは、Barnes&Nobleで1巻が$4になっており、装丁が他の児童書よりもかっこよかったため、ついつい手を出してしまいました。 一番初めにこの本を読んだのは、2018年の夏ごろでした。 その当時はMagic Tree シリーズなどの5000語~1万語程度の児童書を多く読んでいたため、2万語を超えるこの本をすこし長く感じました。しかし、単語のレベルとしては比較的読みやすいと思います。 いわゆる、不幸本です。 Happyなことはほとんど起こらないです。 著者も本の中で、Happy Endが好きな人は読まない方がよいと言っているくらいです。 周りの大人は基本的にポンコツですが、主人公のきょうだいが非常に優秀なため、何とか窮地を脱しようとする様が描かれるので不幸ではあるけど、そこまで悲惨さはないように思います。

ではでは。

ゆう。

駐在妻、前歯がない日本人にマウンティングされる

こんにちは。

ゆうです。

2017年よりアメリカ生活をしています。

こちらにきて一度だけ、ものすごいマウンティングにあったので、記念に記事に残しておこうと思います。

アメリカ滞在開始後4か月位のある日、インド人の友人の娘の誕生日パーティーに招待されたため、プレゼントを買いに子供売り場に行きました。ディズニーのぬいぐるみを選び、レジでプレゼントを包装してくれるサービスがあるか確認していました。

レジの女性の名前が明らかに日本人だったので、「日本人ですか?」と聞いたところ、アメリカ人の旦那さんがおり、数十年前からアメリカに住んでいる方でした。年齢は50代後半から60代前半くらいの女性。この人がやばかった!

まず、その方、上の前歯が1本なかったのですアメリカだと、歯科の保険に入ってるかどうかは、職業・職場によるので、相当苦労してるのではと思いました。

今何をしてるのかと聞かれたので、語学学校に通っていることを伝えました。

すると、絵にかいたようなマウンティング!

・語学学校通うなんて相当英語にお困りなのかしら?

・私は数十年前にアメリカ来る時点で英語ができたのよ~。初めは大学院に入るためにアメリカ来たからね~。私は院卒よ!あなたは高卒?大卒?

・もしかしてビザ取るのに弁護士とか使ったのかしら?英語のできない方は大変ね~?そういうの私は初めから全部自分でやったのよ~。駐在員とかみたいに会社員とは違うの。

・私はここの売り場ののマネージャー!駐在の奥さんじゃ仕事もできないでしょ~。かわいそうだわ~。

・住んでて大変なことは、ほら、私読書家でしょ。本とか読まない方にはわからないでしょうけど、日本の本を手に入れるのが大変なのよ。

などなど。

少し年齢が高いせいか、アメリカに住んでいることをハイステータスに思ってるようでした。私としては、そもそもアメリカにきたくて来たわけではないのと、場所が田舎で日本人がイメージするアメリカとは全然違うので、何にステータスを感じているのやらという感じです。

また、日本の女性のイメージが数十年位前で止まっており、日本の女性はいまだに腰掛程度でしか仕事していないと思っているようでした。

年齢が少し高いためなのか、日本の家族との連絡もいまだに固定電話を利用しているようで、Wifi使ってMessengerやLineで連絡を取るという発想もないようでした。70歳位の私の親はWifi使ってLineとMessenger使えるのですがね…。本はAmazonでオーダすれば1週間位でほとんど届きますし、Kindleで読んでもいいわけです。しかし、この女性は、いまだに家族や友達にお願いして本を日本から発送してもらってるようでした。

何やら、いろいろごちゃごちゃ言って数分間ものすごい馬鹿にされたのですが、前歯がないことが気になりすぎてあまり話が頭に入ってこなかったです。

英語力も重要だけど、私は前歯無くしたくないと強く思いました。

ではでは。

ゆう

イラストはすべてイラストACさんのものを利用しています。

駐在妻、アメリカの学校で英語の勉強(1年半位から2年位について)

こんにちは。

ゆうです。

夫の転勤に帯同し、2017年よりアメリカに住んでいます。

子供がおらず、時間を持て余した私は英語を勉強中。

滞在1年半経過後から2年位までについてです。

滞在開始から1年半頃までの記事は、こちらです。

クラスの選択と夫の会社の福利厚生を利用

滞在開始から1年過ぎた頃からコミュニティカレッジに通っており、滞在1年半経過後から現在(もうすぐ滞在2年間位)はコミュニティカレッジでの2ターム目(スプリングセメスター)になります。

2ターム目は、

・リーディング

・ライティング

ボキャブラリー

の3クラスを取得しました。前タームでは、ライティングと電気回路を受講したのですが、今タームは、すべて英語のクラスです。

滞在期間が不明で、アメリカ国内を転勤する可能性があったため、コミカレで英語を勉強しつつサーティフィケートを取得しようとしていました。

サーティフィケートは、だいたい準学士の半分のクレジット数、約30クレジットで取得可能です。前タームで取得した職業訓練用の電気回路のクラスとライティングのクラスが、このサーティフィケートの必要単位です。しかし、今期のタームでは、サーティフィケートに必要で、受講してみたかったクラスが開講されませんでした(すでに2年開講されていないようです)。

一方、夫の会社が英語の勉強に費用負担してくれることが判明(予算上限あり)。語学学校の授業、通信教育などの英語の授業を負担してくれることはあっても、ESLではないカレッジレベルの英語の授業を負担してくれるというのは相当ラッキーなようです。

他の駐在妻の方に話を聞いてみると、福利厚生がよく駐在員が多い会社は、カレッジのクラスはダメと言われたようです。一方、私の夫の会社は、駐在員が多くなく、カレッジに入るような妻たちもほとんどいないためか、カレッジの英語のクラスでもOKということでした。

といっても私が住んでいるのは、数社のメーカーしか駐在員がいないような田舎なので、商社、銀行、公務員など一般的に待遇がよいとされている会社のことはわからないです。

リーディングのクラス

アメリカ人向けのクラスです。

100番台のクラスで、4年生の大学へも変換可能な単位なので、冬セメスターも含めて全セメスターで開講されています。

Accuplacerテストのスコアは高かったので、不要な科目でしたが、上述の通り、英語のクラスであれば無料で取得できたのでトライしてみました。

授業の内容

リーディングのクラスというだけあって、リーディングの宿題が毎回でます。大学で習う様々な科目で使われるような資料が毎回宿題として指定されます。

その宿題の資料を基に、授業中にディスカッションして問題を解きます。

また、資料のアウトライン(まとめ)が宿題に出た場合、そのアウトラインだけを見て授業中に問題を解いたりします。

その他、アカデミック用語を調べてきたり、単語テストを解きます。タームの後半になるほど宿題が難しくなります。

クラスメート

週2回、16週間ということで、どんどん人が脱落していきました。スタート時に20人位生徒がいましたが、スプリングブレークが終了後は、5人位になりました。5人といっても毎回メンバーが若干異なるので、最終的に期末テストを受講したのは、8人でした。

かなりがんばっていたメンバー数人が途中で一切来なくなった時は驚きましたね。むしろ、何となく手を抜く感じのメンバーの方が最後まで授業に参加していました(私は手を抜いてないですよ…)。

感想

私はいわゆる政治系の分野の読み物が苦手でした。アメリカの政治や歴史に詳しくないので、過去の出来事などについては他のアメリカ人よりは詳しくないので大変でしたね。

(超基本的な歴史であれば、アダルトスクールで習っているので知っていますがね…。)

一方、ライフサイエンス、数学などは万国共通なので得意でしたが、クラスメート達はこれらの科目を苦手とする人が多かったです。

また、心理学に関する資料を30ページ近く読みました。心理障害の名前が多く、辞書が必須でした。また、アメリカで有名な犯罪者や映画などを例に挙げて各心理障害を説明しており、アメリカ人にとってはわかりやすい例だったようですが、私は全く知らず、読むのに非常に時間がかかりました。

私はいまだにスピーキングが苦手です。このクラスはディスカッションが多くあるということで、授業についていけるか心配でした。しかし、テーマがわかっていれば、ディスカッションであっても大丈夫だと感じました。また、クラスメートは、先生の話を聞いていない、授業をさぼる、宿題をやらないなどがあり、最終的には私のスコアの方が他のクラスメートより高かったようです。

また、タームを通して、何度もメジャーなSuffixの練習をさせられたので、Suffixは前よりも詳しくなったように思います。

ライティングのクラス

これは、Compositionと呼ばれるクラスで、リサーチペーパーの書き方を勉強するクラスです。前回のタームで受講したライティングのクラスの続きになります(半年前のコミカレはこちら)。この授業を無事に取得すると、リサーチペーパを書くような科目がほとんど取れるようになるので、がんばりました。

Annotated Bibliography(注釈付き参考文献)を書き、そこからWorks Cited Page(参考文献のページ)を作成するなど、前回のタームで一度習ったことを再度やりました。

今回は合計2つのリサーチペーパーを書きました。1つ目は先生が決めたトピックで、資料もすべて先生が用意してくれました。そして、2つ目は、数個のトピックから自分で好きなものを選んで、資料をすべて自分で用意して書くというものでした。

1つ目は前回のタームの復習という意味合いが強く、2つ目は今までの勉強を基に全部自分で書いてねという感じです。

前回のタームと今回のタームを通して気が付いたのは、私は前置詞と冠詞にめちゃくちゃ弱い!気を付けて書いているつもりですが、思い込みが激しいのが困りもの。"on"だ!みたいになぜか確信して書いた部分が間違っているので。なかなか向上がみられないので、結構自分でもいらいらしてきています。どんどん自分で書く練習していかないとダメだな。

ボキャブラリークラス

これはオンラインのクラスです。

初のオンラインクラスでしたので、どのように進行するのか心配でしたが、クイズを解いたり、オンライン上で他の生徒とディスカッション、資料を大量に読んで問題に答えるなど充実した内容とでした。このクラス、ボキャブラリークラスというだけあって、単語がかなり難しかったです。テストを資料を見ながら解いてよかったので、何とかなりましたが、特にFinal Examは資料を見なければほとんどの問題を間違えたと思います。

いわゆる国語の勉強のような部分もあり、Figurative Language、euphemism、toneなども詳細に勉強しました。

オンライン講義のため、全部の資料をしっかり読まないとならず、指示を読み飛ばしてしまい、ポイントを大幅にミスするなど、資料読みに注意が必要でした。また、他の人の書いたディスカッションの内容が結構わかりにくくて厳しかったです。句読点を一切使わずに書く人が多く、どこで区切って読むのがわかりにくかったです。

興味深いのが、趣味や自己研磨のためにこのクラスを取ってる人が多かったです。皆大学は卒業してるけど、継続して勉強したいから取ってますと。なので、他のクラスよりもモチベーションが高めの生徒が多かったように思います。

まとめ

今回のタームは3科目すべて英語しか取得しなかったので、日本に帰国後の履歴書的にはあまり有利ではないですが、大変ためになりました。

そろそろ履歴書を潤すような科目を取った方がよいのでしょうが、意外とそういう勉強は自宅で日本の本を読んだ方よかったりすので、次のタームをどうするか悩み中です。

ではでは。